
2012年11月01日
11/24(土) すわ親治 ひとりコメディー
11/24(土) すわ親治 ひとりコメディーのライブがあります。
『8時だョ!全員集合』にも出演されていた 幻のドリフ第6の男
として活躍されていた方です。
今回は、替え歌などのコメディーで楽しませてもらえるそうですよ。
ご家族・お友達お誘い合わせのうえお越しください。
今回はチケットを販売してのご案内となります。
チケット代金は\2,000となります。
お問い合わせは、098-965-5718(Back in Time)までお願いします。
下記は、すわ親治さんのプロフィールです。wikipedia参照
ドリフ入りまで
鹿児島で生まれ育ち、中学および鹿児島実業高等学校時代はバンド活動を行っていた。当初はベンチャーズに傾倒する音楽少年であったが、『8時だョ!全員集合』を見るようになって、ドリフに憧れ、音楽の要素の入ったお笑いを目指す様になる。
お笑い芸人を目指し1970年に上京。当初は同郷のフランキー堺に弟子入りするつもりだったが、すれ違いが起こり弟子入りを果たせなかった。
その後、ドリフ付き人募集を新聞広告で見つけ応募するも、最終面接で落ちる。それでもと懇願した所、加藤茶の運転手として採用される。
ドリフ時代
1972年(と思われる)付き人に昇格し、いかりや長介に弟子入りする。この頃、いかりやにより「すわしんじ」という芸名を与えられる。
ギターの奏術に長けていたが、ドリフターズの音楽活動では加藤茶が前に出られるようにドラマーを担当することもあった。
『全員集合』のコントでは、加藤に襲い掛かるブルース・リーのものまねで受けるなど、奇怪なキャラクターでの登場が目立った。その他、「鏡の写し像」、「幽霊」、「ハイトーンの馬のいななきにも似た笑い声」、『飛べ!孫悟空』の馬の役などチョイ役以上の活躍を見せ、当時の芸能雑誌にも正メンバー昇格との予測記事が載せられることもあったが、正式なメンバーになることなく1985年にドリフターズでの活動を終了する。
ドリフ脱退後~現在
ドリフ脱退後は暫く水道会社に勤めていた。そのサラリーマン時代に工事用の手押し車(ネコ車)ダンスのギャグを密かに開発し、芸能界に復帰した。復活後の芸名を「すわ親治」に変更。コントグループ(正式には「劇団」)ザ・ニュースペーパーに参加。一時期はリーダー的存在でもあった。
1988年『ファミっ子大集合』の司会でテレビに復帰。その後、ザ・ニュースペーパーが話題となり『上岡龍太郎にはダマされないぞ』にレギュラー出演。兄弟子である志村の誘いもあり『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』にも準レギュラー出演し志村と絡んでいた。
2001年、NHKの特別歌番組でドリフが全員集合した際、彼も楽曲「ゴー・ウエスト」のコーナーに馬役で出演した(本名の諏訪園親治名義での出演)。また、いかりや長介の葬儀の際もドリフの正メンバー4人と一緒に棺を担いだ。
近年は政治風刺ライブ&冗談音楽の「他言無用」、そのリニューアルである「はだかの王様」を松崎菊也、石倉直樹とともに年に4回程公演するほか、「すわ親治ひとりコメディ」、「下町ライヴ」などを精力的に行っている。その動きや表情で見せるコントには、年季の入った昭和のコメディアンとして、まだまだ健在であることを示している。
季刊『酒とつまみ』(酒とつまみ社発行)には「怪物コメディアンすわ親治の酒は体に悪いぞ~」(2007年12月発行第10号で9回目)を連載している。
2008年3月には自ら企画したCD『ヘバダバ/俺の翼』をリリース。
『8時だョ!全員集合』にも出演されていた 幻のドリフ第6の男
として活躍されていた方です。
今回は、替え歌などのコメディーで楽しませてもらえるそうですよ。
ご家族・お友達お誘い合わせのうえお越しください。
今回はチケットを販売してのご案内となります。
チケット代金は\2,000となります。
お問い合わせは、098-965-5718(Back in Time)までお願いします。
下記は、すわ親治さんのプロフィールです。wikipedia参照
ドリフ入りまで
鹿児島で生まれ育ち、中学および鹿児島実業高等学校時代はバンド活動を行っていた。当初はベンチャーズに傾倒する音楽少年であったが、『8時だョ!全員集合』を見るようになって、ドリフに憧れ、音楽の要素の入ったお笑いを目指す様になる。
お笑い芸人を目指し1970年に上京。当初は同郷のフランキー堺に弟子入りするつもりだったが、すれ違いが起こり弟子入りを果たせなかった。
その後、ドリフ付き人募集を新聞広告で見つけ応募するも、最終面接で落ちる。それでもと懇願した所、加藤茶の運転手として採用される。
ドリフ時代
1972年(と思われる)付き人に昇格し、いかりや長介に弟子入りする。この頃、いかりやにより「すわしんじ」という芸名を与えられる。
ギターの奏術に長けていたが、ドリフターズの音楽活動では加藤茶が前に出られるようにドラマーを担当することもあった。
『全員集合』のコントでは、加藤に襲い掛かるブルース・リーのものまねで受けるなど、奇怪なキャラクターでの登場が目立った。その他、「鏡の写し像」、「幽霊」、「ハイトーンの馬のいななきにも似た笑い声」、『飛べ!孫悟空』の馬の役などチョイ役以上の活躍を見せ、当時の芸能雑誌にも正メンバー昇格との予測記事が載せられることもあったが、正式なメンバーになることなく1985年にドリフターズでの活動を終了する。
ドリフ脱退後~現在
ドリフ脱退後は暫く水道会社に勤めていた。そのサラリーマン時代に工事用の手押し車(ネコ車)ダンスのギャグを密かに開発し、芸能界に復帰した。復活後の芸名を「すわ親治」に変更。コントグループ(正式には「劇団」)ザ・ニュースペーパーに参加。一時期はリーダー的存在でもあった。
1988年『ファミっ子大集合』の司会でテレビに復帰。その後、ザ・ニュースペーパーが話題となり『上岡龍太郎にはダマされないぞ』にレギュラー出演。兄弟子である志村の誘いもあり『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』にも準レギュラー出演し志村と絡んでいた。
2001年、NHKの特別歌番組でドリフが全員集合した際、彼も楽曲「ゴー・ウエスト」のコーナーに馬役で出演した(本名の諏訪園親治名義での出演)。また、いかりや長介の葬儀の際もドリフの正メンバー4人と一緒に棺を担いだ。
近年は政治風刺ライブ&冗談音楽の「他言無用」、そのリニューアルである「はだかの王様」を松崎菊也、石倉直樹とともに年に4回程公演するほか、「すわ親治ひとりコメディ」、「下町ライヴ」などを精力的に行っている。その動きや表情で見せるコントには、年季の入った昭和のコメディアンとして、まだまだ健在であることを示している。
季刊『酒とつまみ』(酒とつまみ社発行)には「怪物コメディアンすわ親治の酒は体に悪いぞ~」(2007年12月発行第10号で9回目)を連載している。
2008年3月には自ら企画したCD『ヘバダバ/俺の翼』をリリース。
Posted by bit at 15:41│Comments(0)